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砂の器 で思う差別の移り変わり
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    JUGEMテーマ:映画

     

    1974年に公開された映画「砂の器」。恐らくわたしはこの映画を20回以上は観ていると思います。

     

    高校2年の時に友人から「凄い映画がある、観に行こう」と誘われ、土曜日の学校帰りに小田原から水道橋まで遠征し、後楽園にあった映画館で観たのが初めてでした。

     

    わたしと同世代で映画好きの方なら「砂の器」は恐らく日本の映画ベスト10に入っているのではないでしょうか。

    それほど素晴らしい映画です。

     

    その「砂の器」がAmazonプライムにアップされました。久しぶりに観て本当に驚きました。

     

    今に観て、感動し、泣ける真の傑作映画だと思います。

     

    原作は松本清張氏、監督は野村芳太郎氏、脚本は橋本忍氏・山田洋二氏、音楽監督は芥川也寸志氏、そして最後の40分に流れる交響詩「宿命」の作曲者は菅野光亮氏。

     

    原作は1961年に読売新聞に連載され、後に橋本忍氏、野村芳太郎氏らによって10年に及ぶ執念と歳月をかけて「砂の器」は映画化されました。

     

    ストーリはもうテレビで何回もドラマ化されているのであえて説明する必要はないと思いますが少しだけ。

     

    石川県の寒村で本浦千代吉がハンセン氏病にかかり村八分に。千代吉は自分の子、本浦秀夫の将来を案じ行く当てのない遍路の旅に出ます。

     

    しかし村を出ても行く先々で差別に会い、やがて苦難の旅は亀嵩の駐在所巡査、三木健一に出会うことで終わります。

     

    戦後の戸籍焼失に伴う戸籍回復処置を使い、秀夫は和賀英良と名を変え、音楽家として成功します。

    しかしその後の三木健一の人間愛が仇になり、殺人事件に。

     

    この事件を今西栄太郎(丹波哲郎)、吉村弘(森田健作)の刑事コンビが追い、和賀英良の逮捕に至ります。

     

    わたしは松本清張の本をこの映画を観るまで読んだことはなかったのですが、以降松本清張の本を読みあさりました。

     

    しかし「砂の器」は原作と映画の終わり方がかなり違うということで、映画「砂の器」を尊重して未だに原作を読んでいません。

     

    ラスト約40分で感動的な交響詩「宿命」が流れる中、四季を織り交ぜ本浦親子が辿った遍路の旅、事件の真相を語る今西栄太郎(丹波哲郎)の映像と語りに心が震えます。

     

    今西栄太郎が涙する時、観る者は皆涙したのではないでしょうか。

     

    わたしが「砂の器」で感じ取るのは差別と人間愛。

     

    いつの時代でも差別は存在し続けています。誤解で生まれた差別は無くなり、しかし形を変えて新しい差別が生まれ、人を傷付け、人を追い込みます。

     

    貧富、公園、学校、会社、能力、学力、病気、生まれ、障害、リストラの選別など差別の種類は様々ですが、差別は時として姿を変え、虐め、排除、蔑視となり人を不幸に陥れます。

     

    「砂の器」はそうした差別によって排除された人間と、手を差し伸べる人間愛。

    悲劇にもその人間愛が生み出す殺人事件。

    差別という非条理で無情な世界を見事に描き切っています。

     

    差別は無くなりません。ならば差別された経験を糧にして世間を見返す。

    これも一つの選択肢です。

     

    しかし和賀英良は人間愛に耳を傾けることなく振り払い、見返すことに成功する寸前で崩壊します。

     

    人が存在する限り、あり続ける差別という不変の悪習、なんたる所以でしょうか。

    そうした難しいテーマを10年にも及ぶ歳月をかけた映画ゆえ、今観てもなんら古臭さを感じませんし、感動と問題提議が沸き起こります。

     

    日本のAmazonプライム会員は約300万人いるとされています。

    会員の方は是非見て頂きたいと思います。

     

    余談ですがハンセン氏病を扱ったわたしの好きな映画がもう一つあります。

     

    1972年にフランコ・ゼフィレッリ監督がアッシジのフランチェスコを描いた「ブラザー・サン シスター・ムーン」です。

     

    アッシジは今やイタリア旅行の定番観光地です。

    「ブラザー・サン シスター・ムーン」はアッシジを舞台にした映画です。

     

    フランチェスコは近隣の戦争に潔く赴き、しかし病に倒れ、彷徨。そんな中ハンセン氏病患者を隔離した地域に手を差し伸べるクレアに出会います。

     

    フランチェスコはクレアの人間愛に気づき、朽ちた教会の再建を始めますが様々な苦難が待ち構え、苦悩します。

    そしてローマ法王に接見し、教会再建の許しを乞い、叶うまでを描きます。

     

    「ブラザー・サン シスター・ムーン」は差別の中、人間愛で己のすべきことを見出し、不屈の精神で大樹をなす姿で感動を呼びます。

    フランチェスコがアレック・ギネス演じるローマ法王と接見する場面は感涙ものです。

     

    残念ながら「ブラザー・サン シスター・ムーン」はAmazonプライムでは観ることはできません。

    少し残念。

     

    人を差別する心は教育と大いに関係があるとわたしは思います。

    教育とは学校教育ではなく、親から子への人間教育です。

     

    人のせいにする、してもらってあたりまえ、異常なまでのクレーム、独りよがり、自分勝手、こうした差別を生み出す土壌、悪行は親の背中を見て子は学び(?)ます。

     

    人との交流とふれあうことで生まれる少しの幸福感、有難さに気づき、子に伝える。

    昔は当たり前なことでしたが、時代は変わりなかなかその暇(いとま)がありません。

     

    施しを受けたら、お返しをする。

    言葉で「ありがとうございました」と言う。

     

    人間教育とは実は簡単なことの積み重ねだと思うのですが。

    posted by: 中高年の就活 ブログ(Powerd) | 映画評 | 10:18 | comments(0) | - |