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【修正(リベンジ)版】日本を元気にする!:温故知新、JAXAが開発しているロケットたち
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    JUGEMテーマ:時事ニュース

     

    【まずは言い訳から】

    前回のブログが「文章が長い割に、何言ってんだか良くわからん」と不評をくらい、凝りもせず再編集して再度アップします。以下、リベンジブログです。

     

    東アジアが騒がしい、というか緊張状態です。

    そんな中、JAXAは少し前に遡りますが、昨年12月20日、イプシロン2号機の打上げに成功しました。

     

    今年1月15日、世界最小の小型衛星用ロケットSS―520 4号機を打上げました(残念ながら打上げは失敗しましたが)。

     

    そして8月19日、H2Aロケットが「みちびき3号機」を載せて34回目連続の打上げを成功させました。

     

    JAXA(宇宙航空研究開発機構)が研究・開発し、実運用をしている日本のこれら主力ロケットのルーツを辿ると太平洋戦争時の中島飛行機にいきつきます。

     

    当時三菱が開発したのが日本海軍の名機零戦、堀越二郎氏が設計しました。

     

    中島飛行機には糸川英夫氏がいました。当時、中島飛行機は陸軍の「隼(ハヤブサ)」などを開発、終戦間際はメッサーシュミットMe262の写真と僅かな図面をヒントにほぼ独自の発想でジェットエンジンを搭載した試作機「橘花(きっか)」を開発します。

     

    余談ですがジェットエンジンには耐圧・耐熱素材が必要で、当時ほとんど希少金属がない時代に、現、住友金属、日立金属が耐圧・耐熱素材を開発しています。

    糸川英夫氏はそんな厳しい状況の中で技術開発を先導したわけです。

     

    終戦後、糸川氏は飛行機からロケットの技術開発に転換し、世界から嘲笑を受けたペンシルロケットから始め、地道に、そして苦渋に耐え、基礎研究を続け、1970年に日本初、世界で4番目の人工衛星「おおすみ」の打上げに成功します。

     

    ちなみにジェットエンジンの開発は川崎重工と石川島播磨に引き継がれてゆきます。

     

    その後日本はロケットのエンジン開発は難題の「液体水素、酸素を使ったシステム」と定め、これまた悪戦苦闘の末、LE7型エンジンを開発し、現在に至ります。

     

    LE7の耐圧は3,000気圧、長い歳月をかけて開発し打上げ成功を続けるこのエンジンには大変な数の企業、技術者、職人など大勢の方々の知恵と工夫の塊です。

     

    そのH2ロケット8号機は1999年、打上げに失敗し、海の藻屑と消えました。

     

    しかしJAXAは原因究明のため機体の回収を始めます。2001年1月に奇跡としか言いようがない3、000mの深海に散らばったロケットの残骸を発見。

     

    「新日丸」が海底に落ちたLE7を回収し、打上げに失敗した原因究明をし、そして原因を突き止め、改善。今の打上げ成功連続記録更新の石楚になっています。

     

    足りない推力は固体燃料のロケットブースタで補い、H2型ロケットの佇まいは技術が凝縮する時に見せる美しいデザインになっています。

     

    余談ですが固形燃料は日油(旧日本油脂)が主に開発しています。わたしの若かりし頃、日本油脂溶接事業部の生産管理システムを10年に渡り開発させていただきました。

     

    その頃の思い出話になりますが、当時溶接棒の生産に携わっていた方から伺った話ですが「職人が配合材料の構成を決める時、その日の湿度・温度をみて経験と勘で微妙に調整している」と教えて頂きました。

     

    当時川崎にあった日本油脂溶接事業部の大会議室には国産ロケットが発射する大きなパネルが掲げられていたことを今でも鮮明に覚えています。

     

    話を元に戻しまして、そのH2Aロケットの補助ブースタがイプシロンロケットに転用されています。

     

    今、国際宇宙ステーション「ISS」に物資を運ぶ補給船の1つ、「こうのとり」もH2Bロケットで打上げています。

     

    わたしは「こうのとり」が国際宇宙ステーション「ISS」にドッキングする映像を見るたびに毎回思うのです。

    ドッキングしたその時に、ISSに滞在している隊員は宇宙服など着用せずに「こうのとり」に乗り込みます。

    これは「こうのとり」に座席をつけたら有人ロケットシステムになるのではないかと。

     

    さてお隣の国が開発した長征5号。打上げに連続二度失敗をしています。目指すペイロード35トン。とんでもなく搬送能力の高いロケットです。どうやらメインエンジンの耐圧は5,000気圧のようです。

     

    そのためメインエンジンの推力不足を補うため、固体燃料ではなく、液体酸素とケシロンを使った推力の大きい実質ロケットと同じブースタを何機も装着しています。

    お隣の国らしい「力技」のデザインです。

     

    しかしわたしは長征5号がペイロード35トンを成功させるにはまだ多くの技術課題があると素人ながら思います。

     

    エンジン本体もそうですが、様々な種類の燃料充填、点火タイミング、姿勢制御、切り離しタイミングなどなど。

     

    2011年11月、中国高速鉄道が落雷により回路が故障し車両が停止、その後続車両が追突し大惨事になりました。

    しかし事故を起こした車両は穴を掘って埋めてしまいました。事故が起きたときは現状維持、現場検証、原因を確定する。これは事故発生時の基本です。

     

    それゆえ長征5号の成功には第一に失敗原因を特定する、それが出来ないとしたら成功への道のりは遠いと思うわけです。

     

    日本はいつの時代もそうですが、厳しい環境にあっても、それを跳ね除け、基礎研究を積み重ねる偉人達が、世界があっと驚く新技術を多く生み出してきました。

     

    例えば1947年、敗戦後の焼け野原の日本に希望と夢を与えた「量子電磁力学」で日本人初のノーベル賞を受賞した朝永振一郎氏。

    朝永振一郎氏は戦時中に放射線の研究をしていました。

    朝永振一郎氏の「量子電磁力学」は後の量子力学の進歩に多大な貢献をしました。

     

    2003年5月9日文部省宇宙科学研究所(後のJAXA)は第20号科学衛星(小惑星探査機)をM−Vロケットで打上げました。

     

    このロケットは日産自動車宇宙航空事業部とIHIエアロスペースが共同開発しました。衛星に積まれた推進エンジンはNECが開発したイオンエンジン。

    そして奇跡に近いサンプルリターンを世界で初めて成功させました。

     

    発射当時に衛星と惑星の名称はありません。後に衛星は「ハヤブサ」、惑星は「イトカワ」と名前がつきました。なんと粋な計らいではないでしょうか。

     

    こうして歴史を振り返り、今の日本が取り組む先端技術を整理すると以下の技術開発は既に終えているでは考えてしまいます。

     

    ・大陸間弾道弾

    ・迎撃ミサイル

    ・巡行ミサイル

    ・帰還型有人ロケット

    ・戦術核

     

    東アジア危機で日本は憲法その他関連法案でミサイルが飛んできたら手足も出せないとニュースなどが報じています。実際その通りでしょう。

     

    一方世界が日本の技術力に驚嘆し、兵器転用した時の脅威も配信されています。

    技術開発に取り組む多くの日本の企業、様々な経験と勘を持つ技術者達。

    実はこうした数えきれない事実と成果が、核など物騒な物を持たなくても立派な抑止力になっていると思うのです。

     

    体制維持のために時代錯誤の領土拡大に走る国の指導者はそのような愚策が失敗することを歴史に学ばなければなりません。

     

    そして地道に努力すれば、結果は必ず成功することも歴史に学ばなければなりません。

     

    posted by: 中高年の就活 ブログ(Powerd) | 日本を元気にする! | 14:40 | comments(0) | - |