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3.11東日本大震災から6年、当時の出来事
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    2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生、東北地方を中心に未曽有の災害をもたらしました。

    未だ行方不明の方が2,500人以上、今なお3万人以上の方が仮設住宅での暮らしを余儀なくされています。

     

    震災で亡くなられた犠牲者の方に改めてお悔やみを申し上げます。

     

    あれから6年の歳月が過ぎました。6年間と言えば、子供が小学校に入学して卒業までの期間。月日が過ぎるのが早いと思いながらも、東日本大震災は日本人にとって永遠に忘れられない、忘れてはいけない、心に刻み込むべき歴史であると思います。

     

    わたしは震災当日、出張先であるJR新川崎駅の近くのビルに入ろうとした寸前に地震に見舞われました。立てないほど揺れ、ツインタワーのビルを見上げると、ビルがゆっくりと大きく動き、壁面や窓ガラスが崩れ落ちてきたらひとたまりもないと身の危険を感じ、よろけながらその場を離れ、揺れが収まるのを待ちました。

     

    何時間か過ぎた後、ビルへの入場が許され、24階まで非常階段で訪問先に向かい合流。一夜を過ごしたビルで見た津波の被害映像は想像を超える悲惨なものでした。

     

    被災地の方々の悲しみと比べようがありませんが、駅、街、ディズニーランドなど、ありとあらゆる場所で人々は帰宅困難者になり苦難を共有しました。

     

    わたしも電車は全て運行停止となり帰宅できず、翌日の午前中に南武線と小田急小田原線が動き出し、本来の通勤経路を迂回してどうにか帰宅できました。

     

    そんな状況の中、海外の大使館員、外資企業の方は日本を離れ、反対に世界中のジャーナリスト、支援部隊が入国します。

     

    今でも思い出しますが、どうにも手の施しようのない悲惨な状況に、毅然と、果敢に、規律を乱さず、他人を敬い、先の見えない困難に立ち向かう日本人の姿が世界中に配信されました。わたしも彼らが配信した記事を読んで心底感動したことを昨日の出来事のように覚えています。

     

    さてわたしの出来事ですが、帰宅した後にテレビで福島第二原発施設が水素爆発する映像を、固唾を飲んで見ていました。

     

    しばらくして交通網が復旧し、会社に出勤。数日が経ったある日、わたしは事業部長室に呼ばれました。

    それは重要な任務の下命で「福島第二原発の被害対策前線基地であるJビレッジまでの通信網を確保せよ」というものでした。

     

    指揮系は、日立製作所の社長、通信網ということでわたしが所属していた通信事業部の事業部長、わたしの上長であった本部長、そしてわたし。4ホップでわたしがその重大な任務に就くことになりました。

     

    聞けばJビレッジまでの通信経路は移動体通信網しかなく、当時は3G。回線は混んでおり、転送速度は良くて数百Kbps、しかも切断が多発している状態。

    原発の被害拡大を防ぐために膨大な技術資料データをネットワークで届ける必要があり、待ったなしの状態でした。

     

    事業部長室は即座に「Jビレッジまでの通信網確保対策室」になり、事業部長、本部長も必死に情報収集を開始。そして次第に通信網の惨憺たる状況がわかってきました。

     

    通信キャリアの固定系局舎は津波で稼働不能。電力会社の自営の光通信網も寸断で使えず。

     

    わたしは代替手段を検討していました。2009年に公開された「サマーウォーズ」で観た自衛隊のミリ波通信を利用できないか、などいろいろ思案したあげく、衛星通信を利用することを思いつきました。

     

    時間がありません。すぐに衛星通信のサービス提供をしている会社へ電話をかけまくりました。

     

    大量のデータを送るには通信衛星のトランスポンダを丸ごと借りる必要があります。何社も電話しました。得られる回答は「前例がない」「現状のサービスがあるので無理」皆一様で正直くじけそうになりました。

     

    しかし現地の苦難を思い、あきらめずに海外衛星通信キャリアにまで対象を広げ電話をかけまくりました。

     

    そして大変残念なことに会社名がどうしても思い出せないのですが「わかりました。少しお時間をください」と支援に前向きな回答を頂いた会社に繋がることができました。

     

    その返事に一縷の望みをかけつつも、油断はできません。返事があるまで他の会社に電話に電話をかけ続けましたが、しかし結果はその1社以外は全てNGでした。

     

    そして数時間後、その会社から電話があり「全面的に協力させて頂きます。トランスポンダ確保の目途も立ちました。」と感激の回答を頂戴しました。

     

    すぐに事業部長に報告、即事業部長命令で具体的な具申書を作成し、翌日朝一に本部長と某部署に報告。わたしの役割はそこまででした。その具申書がその後どうなったかは不明です。

     

    しかし数か月後、あるIT系の展示会で某キャリアのブースに「東日本大震災への取り組み」と書かれたパネルが展示してあり、そこにはわたしが具申したままの通信経路の絵が描かれていました。

     

    「Jビレッジまでの通信網確保対策室」の具申で、パネルにある通信経路が確保できた確証はありません。しかし具申した通信経路が実現したことは事実です。

     

    パネルをジッと見つめながらあの衛星通信会社の献身的努力に感謝の気持ちで一杯になりました。わたしの電話を受けた方は間違いなく本国と困難な交渉をしてくださり、全面的な協力を申し出てくれたものと思います。

     

    この場を借りて御礼申し上げます。

     

    以上はわたしのささいな出来事です。

     

    東日本大震災ではのべ800万人の自衛隊の方が駆けつけ、日本赤十字、全国の警察・消防・自治体、ボランティア、そして海外の支援部隊などが協力しました。

    帰宅困難者の徒歩帰宅ではコンビニや、心ある店舗が食事、水、トイレなどを提供しました。たくさんの国民が様々な形で協力しました。

     

    中でも自衛隊とアメリカ軍の「トモダチ作戦」には感謝と尊敬の気持ちで一杯になります。

    一例ですが航空自衛隊松島基地はブルーインパルスの機体以外は全機水没、基地隊員は家族の捜索より市民の救助を優先。

    そしてアメリカ軍は海軍・海兵隊・空軍が参加し、のべ2万人以上の隊員が放射能汚染地域まで踏み込み災害救助にあたりました。我が国日本にこれまで献身的に貢献してくれる国はアメリカ以外にあるでしょうか。

     

    被災者の中には恐らく彼らの活動が、神がかっているように見えた方もたくさんいたかと思います。

     

    話は変わりますが自衛隊が南スーダンのPKO活動から撤退します。5年を一区切りと安部首相はその理由を述べましたが、わたしは素直に「はいそうですか」とどうしても思えません。

     

    東日本大震災当時の政権は民主党でした。その後の民進党はつい先日まで南スーダンの「武力衝突」の言葉の解釈で安倍政権攻め立て、攻める材料がなくなると、今度は森友学園の追求を始め、国会予算審議を不毛の場にしています。

     

    これはあくまでも私見ですが、安部政権はこれ以上予算委員会での質疑時間の浪費を防ぐために、低レベルの論戦の火種になりそうな南スーダンへの自衛隊派遣を止めたのではないかと裏読みしています。

     

    今東アジアは危機的状況です。中国空軍が対馬列島を領空侵犯し、北朝鮮はEEZ内にミサイルを撃ち込んできました。韓国は極左政権になりそうな気配。

     

    世界を駆け巡り、これから先に起こる天災以外の国難を危惧した安倍政権の決断だとわたしは推察しています。

     

    ところが民進党は南スーダンの撤退をこれから予算委員会のメインの審議に据えると言っています。どこまで愚かな政党なのでしょうか。

     

    民進党は東日本大震災に何も学んでいないとしか言いようがありません。東日本大震災当時の稚拙な対応の反省ができないのです。

     

    わたしは民進党に健全なる野党になることを期待してブログにも綴りましたが、それは今の予算委員会の彼らの姿勢で無理難題であると諦めました。

     

    6年前の東日本大震災時に立ち向かう姿で、世界中の人々が畏怖を感じ、尊敬された日本国民は東日本大震災時の経験を心に置き「無理が通れば道理が引っ込む」行動を決してしてはならないと思います。

     

    posted by: 中高年の就活 ブログ(Powerd) | 時事の話題 | 23:10 | comments(0) | - |